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「なぜ文化的アイデンティティが必要なのか?」

 都市の文化というのは、たとえていうなら樹木のようなものではないでしょうか。根元の土壌を粗末にしていると、いつしか幹が衰え、枝も葉も貧相になり、美しい花を咲かせることなどできなくなります。そうなると、どんなに勢いのある枝を移植したところで、ちゃんと育ってはくれません。せっかく足元に蓄積された文化をおろそかにして舶来のテーマパークや遊園地を誘致しても、地域に元気がよみがえってくるとは思えないのです。文化を意味する「カルチャー」は、もともと「耕す」という意味なのですから。
 例を挙げると、古代の大阪は畿内の港町として栄え、ときに首都となりました。中世には、海に沈む夕日を背景にした四天王寺が浄土信仰の拠点となり、〈水上の御堂〉といわれた大坂本願寺が宗教都市の観を呈した時代もあります。近世には水運の利により商業・興行都市として繁栄し、さらに近代以降は工業地帯に変貌していくというように、主産業は時代の変化につれて移り変わってきました。ですから、「商都」や「工都」や「港都」というキャッチフレーズに乗って或る時代の特定の産業を都市のアイデンティティーにすえてしまうと、急激な構造変化の時代に対応できなくなってしまうことがあるのです。それよりも、時代を超えて蓄積されてきた文化的特性のほうにアイデンティティーを置けば、地域が持つ風土としての特性や潜在的な記憶をたえず内外に意識させ、その地に生きる市民としての自覚を住民に促して、地場産業を活性化していくことにもつながるのではないでしょうか。

「大阪の近代文学」

 関西文學新人賞の発表の季節が近づいてきた。審査員は作家の有栖川有栖氏(大阪市在住)ら四人である。
 昨年の受賞作『ティールーム』(野崎雅人・作)は、千利休の直系につらなる茶道の家元が今も堺にいるという設定の、なかなか面白い小説であった。
 その堺から出た与謝野晶子らが同人として参加した『よしあし草』は、浪華青年文学会が一八九七(明治三〇)年に創刊したもので、これが後の『関西文学』へと発展していく。以来、廃刊や休刊を重ねつつ復活してきた『関西文学』の編集長を務める私としては、由緒ある誌名を掲げる以上、関西の近代文芸の系譜というものをいやでも意識せざるをえない。街を見る目もおのずとそうなる。
 阪神電車「尼崎」駅のすぐ南に、シックな佇まいの喫茶店がある。「獨(まる)木(き)舟(ぶね)」というユニークな店名は伊東静雄(一九〇六~一九五三)の詩から採られた。コーヒーを注文すると、コーヒーと共に薄紙の伝票がそっと置かれる。伝票の裏には細字で伊東静雄の詩が印刷してある。
 近代大阪が生んだ詩人といえば三好達治(一九〇〇~一九六四)の名が思い浮かぶが、近代大阪で活躍した詩人となると、三島由紀夫が心から敬愛した伊東静雄を外すわけにはいかない。その伊東静雄の命日「菜の花忌」の名を、司馬遼太郎のファンが「横取りした」といって、怒っている人は少なくないのだ。  
 今の大阪ほどMOTTAINAIという言葉が当てはまる街はない。ありあまる歴史と文化をろくに活用していないという意味で。
 都市の文化とは樹木のようなものであり、根元の土壌を粗末にすれば、いつしか幹が衰え、枝も葉も貧相になる。そうなると、どんなに勢いのある枝を移植しても美しい花を咲かせることはできない。せっかく蓄積された文化をなおざりにして、舶来のテーマパークや遊園地を誘致したところで、街に活気がよみがえってくるとは思えないのである。